前postで、一つの問いを書いた。
「どうしたら、この街は残るのだろう。」
その答えは、ヴェネツィアだけにはなかった。
この夏、ヨーロッパを歩いてきました。
いつものように、
スパ・テルメ・温泉巡りを主軸に、
イスキアでは、
二千年以上続く温泉文化に触れた。
ウィーンでは、
古代ローマ時代から受け継がれるテルメを歩いた。
ブダペストでは、
今も人々の日常に溶け込む温泉を見た。
クールマイヨールでは、
アルプスの自然とともに過ごす時間を体験した。
でも、歩き続けるうちに、
違う景色が見えてきます。
聖堂に差し込むステンドグラスの光。
ヴィエトリ・スル・マーレの釉薬。
ブラーノ島の色彩。
ムラーノ島のガラス。
カンパーニャのワイン。
パリの廃線跡地。
ミラノのナヴィリオ。
一見、まったく別の物語に見えますが、
すべては一本の線につながっていました。
ヨーロッパの人たちは、
「残そう」としているようには見えない。
むしろ、
「残そう」とも思ってないんじゃない?とさえ。
古いものを、
当たり前のように使い続ける。
直して使う。
役割を変えて使う。
受け継いで使う。
それは、特別な取り組みではない。
暮らしそのものです。
だから、何百年も、何千年も、
続いてきたんだ。
そして、気付かされる。
再生とは、
壊れたものを元に戻すことではない。
使い続けることが、
文化になるということだ。
その瞬間、
最初に投げかけた問いの答えが、
少しだけ見えた気がした。
つづく
