Project / ABUKU / Vase

なぜ、Vaseなのか。

ABUKUにおいてVaseは、花を入れるためだけの道具にとどまらない。 それは光を受け、水を抱え、空間の中に静けさを置くための器である。 花があることで生まれる余白。水があることで生まれる時間。ガラスがあることで立ち上がる、かすかな揺らぎ。 それらが重なったとき、Vaseは名脇役として、心を柔らかくし、安寧の気配を空間に残す。

ABUKU vase

Vaseは、花を支えるためだけの器にとどまらない。

ジュエリーが身体に触れるものだとしたら、Vaseは空間に触れるもの。 ABUKUにとってそれは、室内に置かれたひとつの物体というだけでなく、光・水・時間・静けさの関係を引き受ける存在であり、光の理解から始まったこのプロジェクトが、空間へとひらいていくための、もう一つの柱である。

A vase does not fill a room.
It clears it.

Vaseは、時間を受け止める。

空間

ジュエリーが身体に置かれるものだとしたら、Vaseは空間に置かれるものである。 どちらも装飾で終わるのではなく、そこにあることで感覚の質を変え、周囲の空気を少しだけ整える。 ABUKUのVaseに惹かれるのは、花のためだけでも、器のためだけでもない、その場に静かな秩序と揺らぎを生むから

時間

水は止まっているようで、止まっていない。花は咲いているようで、すでに変化を始めている。 ガラスは固体でありながら、光によって表情を変え続ける。 つまりVaseには、時間、変化、静寂が同居している。 それはABUKUが大切にする“安寧”のかたちそのものでもある。

ABUKU vase and space
Flower / Ma / Silence

花は、置くのではなく、生ける。

花を生けるということ。それは、花と器と水、そして周囲の空間との関係を整えること。 “生ける”という行為は、配置ではなく対話であり、静けさではなく時間の編集である。 だからVaseは花を支える脇役ではあっても、無関係な背景ではない。

Relax Planning らしさで言えば、Vaseの本質は“満たすこと”ではなく、“あけておくこと”に近い。 花そのものより、花と花とのあいだ。器と壁とのあいだ。水面と光とのあいだ。 そうした隙や余白の中にこそ、ガラスはやわらかく輝き、心をほどく。 ABUKUのVaseは、主張するためにあるのではなく、静けさを成立させるための器でありたい。

なぜ“Vase”という言葉なのか。

Vaseという言葉には、単に花瓶という日本語だけでは収まりきらない響きがある。 それは器であり、受け皿であり、何かを託される存在でもある。 花を支えるだけでなく、水を抱え、光を映し、空間の中に静かな中心をつくる。 その意味でVaseは、単なる容器にとどまらず、場を整える存在に近い。

さらに“vessel”という感覚に近づいていくと、器は身体や精神の比喩とも重なる。 受け入れるもの、内包するもの、何かを通すもの。 ABUKUがVaseに感じる親和性はここにある。 ガラスの器は花だけでなく、見る人の感覚や、その場の静けさそのものを受け止める器でもある。

ヨーロッパ文化の中で、器はどう生きてきたか。

Vaseは単なる花の道具ではなく、暮らしの中にある美意識の証拠でもあった。古代遺跡からアール・ヌーヴォー、そして現代の室内文化にいたるまで、器は常に空間と感覚をつないできた。

01

古代ギリシャ・ローマ

壺や器は、保存のためだけでなく、物語や装飾を担う媒体でもあった。ローマやポンペイの遺物は、器が生活文化そのものに組み込まれていたことを示している。

02

アール・ヌーヴォー

ガレやドーム兄弟の時代、花とガラスは強く結びついた。Vaseは単なる道具にとどまらず、自然と室内をつなぐ感覚の橋として扱われた。

03

室内文化としてのVase

ヨーロッパの住まいでは、花や器は装飾というより、生活にやわらかさを戻すための所作として置かれる。Third Place にVaseが自然にあるのもその延長である。

Vaseの歴史を、時間の器として読む。

Ancient
古代世界において器は、保存・運搬のためだけでなく、儀礼・物語・装飾を担う存在だった。壺や容器は、暮らしと象徴の境界にあった。
Pompeii / Rome
ポンペイやローマの遺跡に残る器の痕跡は、器が生活の細部にまで入り込んでいたことを示す。遺跡の中で器は、時間の停止ではなく、そこに流れていた時間の証拠として立ち上がる。
Art Nouveau
19世紀末から20世紀初頭、花とガラスはもっとも詩的に出会った。Vaseは家具でも工芸でもなく、光を宿す自然の器として再解釈された。
Japan
日本では、花器は主役を奪うためのものではなく、花と場を成立させるために存在してきた。茶室や床の間、いけばなの文化に見られるように、器は“見せる”よりも、場を整える役割を帯びていた。
ABUKU
ABUKUにとってVaseは、歴史の延長にある新しいカテゴリというだけではない。光・水・花・余白・静寂をひとつの場に引き受ける、感覚のための器として改めて置き直される存在である。

ジュエリーとVaseは、どこかで同じである。

身体に置くか、空間に置くか

ジュエリーは身体に寄り添い、Vaseは空間に寄り添う。置かれる場所は違っても、どちらも感覚の質を変える存在である。

共に光を受けて輝きを変える

身につけられたジュエリーも、水を抱えたガラスも、光によって表情を変える。そこに固定された美ではなく、時間とともに揺らぐ美がある。

内面へ向かうための仕掛け

どちらも大きく主張するためだけのものではない。むしろ心の速度を少し落とし、見る人の内側に静かに触れるための仕掛けである。

Third Place needs a vase
for the same reason it needs silence.

Vaseは、名脇役である。

花のための器でありながら、実際には花だけのために存在しているわけではなく、 それは光と水と空間の関係を受け止め、人の心を少しやわらかくするための器でもある。 ABUKUがVaseを考えるのは、 安寧のかたちを、もうひとつこの世界に置きたいからである。

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