世界を見てきたことの意味――Journeyの編纂について

「世界を知っている」という言葉は、 ときに軽く、表層的に使われます。

何カ国行ったか。
どこに住んだか。
どんな写真を撮ったか。

けれど、
私たちにとって「世界を知る」とは、スタンプラリーでも、経験自慢でもない。

世界を知るとは、価値観が揺さぶられること

それは、
自分が当たり前だと思っていた価値観が、当たり前ではないと知ること

・時間の流れ方
・働き方
・休み方
・人と人との距離感

国が変われば、文化も風習も変わる。 豊かさの定義も変わる。
「急がなくていい」という前提で社会が回っている場所もある。

その事実を、
本やニュースではなく、身体が感覚として知る
それが Journey の出発点でした。

旅の中で見えてきた、社会の構造

旅の中で私は、何度も立ち止まった。

なぜ、この街では人が疲弊していないのか。
なぜ、この地域ではこのような文化が生まれたのか。
なぜ、この国では「効率」より「関係性」が優先されるのか。

それらは、どのサイトや観光ガイドには載っていない。
けれど、社会の深層には確実に存在している。

リラクゼーションは、個人の問題ではなく、構造の問題だと気づいたのは、
世界を歩いたからでした。

Journeyは、思想の原点である

Journey は、
思い出を並べる場所ではありません。

世界各地で見た
「うまく緩んでいる社会」と 「無理を前提に回っている社会」を、
比較し、編集し、問いに変える場所
です。

その蓄積が、
・World という知見になり、
・Alliance という構造になり、
・Projects という実装に変わっていく。

Journey の編纂は、
この事業の感覚的な原点であり、
思想が机上の空論にならないための現場でもある。

世界を知ることが、なぜ必要なのか

世界を知ることは、正解を求めることではなくて、

「他のあり方が存在する」を知ることです。

その視点があるからこそ、
私たちは日本の社会を、一歩引いた距離から見つめ直すことができる。

リラクゼーションを、
流行語でも、サービス名でもなく、社会に必要な言葉として再定義するために。

Journey は、これからも続きます。
それは移動の記録であり、
リラクゼーションという思想が生まれ続ける現場そのものだからです。

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